私の定年後・ベネルックス紀行

定年後だいたい2年に1回のペースで妻とヨーロッパ旅行をしている。 そしてその多くがベルリンに住む長女夫妻と合流しての旅である。一昨年はスイスに行った。
とすると今年はヨーロッパ旅行の実施年ということになる。一方、長女は東京銀座で 現代アートの個展をするために、これまた2年に1回くらい帰国している。 こちらから行くのと向こうから来る年が交互にやってくる。 今回は北欧旅行も考えたが結局ベネルックス3国(ベルギー、オランダ、ルクセンブルグ) を訪れることとした。

9月4日、ルフトハンザ航空でフランクフルト着。前日から友人宅に泊まっていた 娘夫妻が迎えてくれる。ホテルは中央駅近くのAPADANA。 ホテルというものは安全で清潔であればそれでOKと考えており、娘が心得ていつも安いホテルを探してくれる。 ここもそんな感じのホテルだ。 チェックインのあと早速マイン川沿いに歩いて旧市街の中心レーマー広場に向かう。

夕食はボリュームたっぷりの肉料理。海外での食事については、いつも 警戒を要するのがそのボリューム。日本人のなかでも少食の我輩では なかなか片付かない。やはり食べ残してしまう。 この旅行に備えて買ったデジカメで夜景を撮りながらホテルに帰る。

9月5日、今日一日はフランクフルト市内見物。ゲーテ、シラーの銅像を見、牛と熊の像のある 証券取引所など見ながら大聖堂へ。ゲーテハウス、シュテーデル美術館を見る。 娘の仕事上の知人で日本の旅行会社で働いている若いドイツ人女性アネッテと 合流して夕食をとる。料理はゆで卵入りのグリュネゾースという土地の名物料理、 飲み物はりんご酒だ。 彼女は大学で日本学?を勉強し、日本では静岡に住んでいたとのことで日本語も 当方のドイツ語よりはるかにうまい。会話は日本語中心になってしまった。

9月6日、ルクセンブルグへ向かう。フランクフルトからマインツに出たあとライン左岸を列車で下る。 コブレンツからはモーゼル川に沿ってトリアーに。 4年前は船と車でこのコースを行ったが今回は列車の旅だ。トリアーを出るとすぐ国境を超えて ルクセンブルグだ。駅近くのホテルに荷物を置いて旧市街に向かう。 15分ほど歩いて渓谷にかかるルドルフ橋を渡ると世界遺産の旧市街だ。 憲法広場、大聖堂、大公宮、聖ミカエル教会を見てボックに至る。 ボックとは岩壁に穴を穿って築かれた地下要塞の跡であり、通路が縦横に巡らされ 所々外部に面した部分には大砲が据えつけてある。

9月7日。 ルクセンブルグを離れブリュッセルに向かう。ベルギー国内に入るとアルデンヌ地方だ。 第2次世界大戦ではドイツの機甲師団がこの森を突っ切ってフランスに侵入しマジノ線の背後に出たという。 ルクセンブルグを出て3時間、ベルギーの首都ブリュッセルに着く。ここはEUの首都でもある国際都市だ。
ホテルに荷物を預けて長女、妻と3人でナポレオンの古戦場ワーテルローにむかう。 ヨーロッパの関が原とも言えるこの地を訪れることは長年の夢でもあった。 ブリュッセルから電車で20分、そこからさらに20分くらい歩いてインフォメーションで聞き、 またバスに乗ってやっと着いた。高さ40mのライオンの丘に登る。 そこからは360度平原が見渡せる。 パノラマ館などあるが時間がないし、女二人が嫌がるので見ずに戻ることとする。
一方、娘婿はブリュッセルで合流することになっている母親ヘルガを空港に迎えに行っていたが、 旧市街の中心部グランプラスでわれわれはヘルガとは4年ぶりに再会した。

9月8日。本日の予定はブリュッセル市内の観光。総勢5人でブリュッセル公園、王宮、国立美術館、 ノートルダム・デュ・サブロン教会、ノートルダム・ド・ラ・シャペル教会など見る。

9月9日。 ブリュッセルを出発してブルージュに向かうが、 娘婿の提案でゲントで途中下車する。 ゲントは運河沿いの美しい街だった。フランドル伯居城、鐘楼に登り、聖バーフ大聖堂など見る。 スケッチブックを開いて写生をする。
ブルージュ駅から旧市街にあるホテルまでの道のりは長かった。 石畳の道を荷物を持って、道に迷いながらホテルに着いたのは6時半だった。 マルクト広場で食事をする。
(注:ゲントはフランス語ではガンという。 ガンはブルージュとともに昔、地理、歴史の授業で 織布業で栄えた町として覚えた。そのガンがゲントと同じ町であることに迂闊にも帰国してから 気づいた)


9月10日。今日はブルージュ市内見物。マルクト広場、鐘楼、メムリンク美術館、聖母教会、 グルージング美術館、聖血礼拝堂、ベギン会修道院など見学。 夜はビール蒸しのムール貝をたらふく食べた。うまかった。

9月11日。ベルリンに帰るヘルガとブルージュ駅で別れてアムステルダムへ。 途中乗り換えたアントワープ中央駅は美しかった。駅の外にも出て写真を撮った。 4時30分アムステルダム着。ようやく探し当てたホテルは歓楽街の中にあった。 店内も薄暗くバーのような雰囲気だ。 値段も高くしかも前金だという。カードで払おうとすると手数料5ユーロ取られた。 ツイン2部屋3泊で計11,6万円なり。 ホテルに荷物を置いて散歩に出る。早速観光の中心地ダム広場へ。 跳ね橋など巡って夕食は中華レストランでとった。
夜ホテルでシャワーを浴びようと手を伸ばして、高い位置にあるコックを適当にまわすと熱湯が出てきた。 慌てて止めようにも熱湯がかかるのでコックに触れられない。困ったが妻が持参の折りたたみ傘を ひろげて湯を防いでくれたので、やっと止めることができた。 雨傘が熱湯を防ぐのに役立つとは思いもしなかった。

9月12日。ゴッホ美術館、国立博物館など見て夕食後、娘夫婦と別れてコンセルトへボウに入場。 チケットは予め娘婿が買ってくれていた。席は最前列の中央。曲はチャイコフスキーのマンフレッドなど。 比較的若い指揮者による力強い演奏だった。

9月13日。中央駅の東方、市立美術館を見たあと半日バスツアーを申込み、 アムステルダム北方のマルケンという古い漁村を訪れる。 昔からの古く小さな家々の間をすり抜けるように見て周る。 今では漁業はあまりやらず観光に依存しているのだろう。 船に乗り換えてゾイデル海をフォーレンダムという漁村に渡り博物館を見学。 再びバスで木靴やエダムチーズの製造所をみて、さらに風車を見物して市内に戻るというツアーだった。 最後の夕食は北京ダックなど食べた。別に美味いものではない。 ホテルに帰る途中で歓楽街の路地を通ると飾り窓の女に出くわした。 話には聞いていたが突然のことで驚く。そのあとその種の店が何軒もあった。
             ☆             ☆

今回の旅行中、ずっと快晴に恵まれた。この点はラッキーだったと思う。
また旅行出発前は、ブリュッセルからブルージュに行く途中でフランスとの 国境に近いイーパを訪れたいと思っていた。 イーパの近くに第1次世界大戦の激戦地があり、狭い地域の中で数十万の戦死者が今なお眠っているという。 その話をオーケストラ指揮者の湯浅卓雄さんから聞き一度行って見たいと思ったわけだが、 そこは行きにくい場所でそのため一日を要するらしく、旅程との関係で諦めざるをえなかった。

                 (完)
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