手記”わたしの定年後”
おわりに

 以上、今後自分のしたいことを列挙したが、それだけで いいのだろうかとの思いが残る。定年までは仕事に徹し、その後は 好きなことだけをして暮らす。これが本当に価値ある人生だろうか?
定年までに仕事の犠牲になったのは、遊びのみであろうか? 社会の矛盾に憤りを感じ、自分として何かをせねばならない。 しかし時間的、経済的その他の制約によりそれができない・・・ ということはなかったろうか?

世の中には多くの問題がある。”開発”という名の儲け主義の 怪物が、自然を、歴史的景観を破壊している。地球的規模で環境汚染が 進んでいる。飽食の一方で飢えがある。 理不尽に故郷を追われ命を奪われながら数十年間も絶望的な難民生活を強いられているパレスチナの人たち。これらの問題を見て 見えぬふりをし、自分だけ安穏な余生を送る。これでよいのか?

束縛から解き放たれ、何とか食っていけるだけの経済的基盤も でき、時間もある。この状況下にあってこそ、自分がかくあるべしと 考えることをし、また一方で生活を楽しむ これが定年後の 真に有意義な生き方ではなかろうか?

世の中の役に立てることを何かしたい。微力ではあっても何かは できる。収入を得るためでなく手弁当でよい。純粋な気持ちで 何かをしたい。することはいくらでもあるはずだ。人手は足りないはずだ。阪神大震災 、日本海沿岸での重油の流出事故などにおけるボランテイア活動を見聞きするにつけ、 私は以上のことを考えるようになった。

しかしまだ何をしたらよいのかわからない。何ができるのかも知らない。 これについては今後じっくりと考えたうえで、定年後の課題としたい。

   
幸福とは何か。

それは、したいことができる状態である、とはいえないだろうか。
したいことが何らかの事情で、できないとき、人は不幸である。 何らかの事情とは、金がない、時間がない、身体が健康でないなど。 しかしこれらは条件さえ整えば、解決しうる。
最も不幸なのは、金、健康、時間すべて揃っていても、したいことがない 状態なのではなかろうか?
そのとき人は自らの生きる意義を問い直さねばならない。

(完)       

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