サイクリング紀行(2018年7/19〜8/2)  

               <京都クロスカントリースキークラブ゙の仲間とともに>
サイクリングを始めて30年くらいになる。

自宅から走る。電車に自転車を積んで、降りた駅から走る。 遠出して何泊かしながら走る。いろいろやった。

しかし海外は初めてだ。海外なら飛行機利用となるが飛行機に自転車を乗せるのは大変で、 北海道に行ったのが唯一の経験である。 国内であれば輪行袋に自転車を包めば事は足りる。

海外となるとそうはいかない。 自転車を箱に詰めなければならない。 海外の空港での荷物の取り扱いは乱暴だと聞く。それが心配だ。 着いた後で空き箱をどうするか? おなじ空港から日本に帰るのなら、ホテルなどで預かってもらえばよい。

今回のこのツアーは昨年秋、K氏の立案と参加呼びかけで始まった。 ライン川サイクリングはK氏が長年温めていた夢だったようで、 ネットなどで膨大な情報が収集されていた。

コース案は、スイスからフランス・アルザス地方を経てドイツ・ライン川沿いに下流に向かう15日間のサイクルリングツアーである。 その間、1日に50kmくらい走ってはユースホステルなどに泊まりながら観光もする。列車や船も利用するというもの。 当初の参加希望者は6名。そのあと1人減りまた1人減って4人となった。


今年になってK氏を中心に数回の打ち合わせを大阪駅付近で繰り返し計画は具体化していった。 航空便の予約はK氏が、宿の予約は女性2人が手分けしてやってくれた。 当初は現地業者のレンタサイクルツアーを利用する案だったが 結局、各自で自転車を用意することになった。


自分の古い自転車(Der Alte”ご老体”号)または 仲間から借りた自転車を持っていくか、 現地で新品か中古品を買うかなど、参加取りやめも含め、悩んだ末にDer Alte号案に決めた。 これなら盗難や破損の心配をあまりせずに済む。 帰国時に現地処分すれば持ち帰る手間も費用も要らない。


次に箱をどう調達するか?

近所の自転車店でBianchiの大きな空き箱をもらってきた(140*70*20cm)。 ハンドル、ペダル、サドルの着脱の仕方を教えてもらって、分解して入れてみると何とかうまく収まった。 後輪は着けたままなのでリアディレーラーのケアをしなくていい。


自転車以外の荷物はどうするか。登山用のザックにすべてを詰め込み、あとは貴重品用のウエストポーチのみ。 紙1枚単位で減量を図り、毎日洗濯すれば何とかなるだろう。


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さて出発当日7月19日6時前、枚方発のバスで関空に向かう。7時過ぎ関空着。宅配便で送った自転車を受け取る。 メンバー4人が揃う。リーダーのK氏、女性のHさん、Kさん、最高齢の小生。 自分以外の3人は折りたたみ自転車で、箱もコンパクトだ。 ルフトハンザの搭乗手続きをしたが自転車の送料は不要だった。ラッキー!

10時過ぎLH741便は関空を発ち、現地時刻3PMフランクフルト着。天気は晴れ、気温30度。ここでチューリヒ行きに乗り換える。 指定された搭乗口を目指し広い空港を延々と移動する。着いてみると搭乗口は変更されていて慌てて来た道を戻る。 途中パスポートチェックがあったが、長蛇の列で乗継便の出発時刻に間に合いそうもない。 4人で強引に進んで何とか間に合った。

PM5時半チューリヒ空港着。空港で自転車を箱から出して組み立てる。これからがひと仕事。 空き箱をまとめて隣のビルにある郵便局で、 最終宿泊地デュッセルドルフのホテルに送らねばならない。小生の大きな箱に小さめの3つの箱をぺしゃんこにして なんとか押し込む。K氏、Hさんが郵便局に向かうが、手続きに時間がかかるのか、なかなか戻ってこない。 荷物がもし受取人に届けられなかった場合、発送者に送り返すことになるが、その住所氏名を明記しなければならなかったようだ。

Kさんと小生は自転車を見守りながらホテルへの行き方を調べることになる。 本日宿泊予定のNHチューリヒエアポートホテルは車で5分程度の距離らしいが、自転車でいきなり走り出すのは不安である。 ホテルのシャトルバス乗場に行って、人間4人と自転車4台を乗せられることを確認した。 4人そろうのに時間がかかるので、小生ひとり一足先にシャトルバスで自転車とともにホテルに向かう。 チェックインしてしばらく待つと3人が到着した。自転車は地下のガレージに入れた。 ホテルで夕食をとったのは10時半。就寝は12時だった。




7月20日(第2日)
朝食後シャトルバスで空港駅へ。列車でバーゼルBaselに向かうこととなる。ここは大きな駅で乗り場などわかりにくい。 ホームで3人が自転車を輪行袋に入れてる間にひとりで切符を買いに行く。 切符売場には行列ができていて順番を待つ。自転車が乗せられるか聞くうちに自転車の切符も買ってしまう。



列車に乗っていて目的地への到着予定時刻が近づくと、次に停まる駅が目的地の駅に違いないと思う。 日本人ならそう思うだろう。ところがそれが間違いだった。駅名の確認もせずに手前の駅で慌てて降りてしまった。 列車はすこし遅れていたらしい。やむなく次の列車を待つことになる。この間違いはのちにまた繰り返してしまうのだが・・・




バーゼルはスイスの都市だがドイツ・フランスと国境を接していてそれぞれのバーゼル駅がある。 われわれが着いたのはスイス駅SBB。 駅を出て大聖堂に向かう。ヨーロッパでの自転車の最初のランだ。 市街地を走るのは苦労する。当地では車は右側通行で、自転車は車道の右端を通らねばならない。 一時停止の時など、左から自転車に乗り降りすることに慣れている身にはやりにくい。 路面電車が歩道すれすれに通る。 旧市街に入り大聖堂に着く。自転車をロックして内部へ。ライン川を見おろしながら持ち合わせのもので昼食。 バーゼルは他にも見どころがあるが時間がないので先を急ぐ。




そのあとライン川を渡ってドイツ駅へ。今度はK氏と2人で券売機と格闘しながら乗車券のみを買って、 自転車マークのある車両にそのまま乗り込んだ。 その中では両側に3台づつ分のスペースがあって自転車をベルトで固定するようになっている。 自転車のない時には座席をおろして座れる。(上の写真は後日のものです)

次の行先はドイツのフライブルクFreiburg。黒い森(シュヴァルツヴァルト)の西南に位置する この町は美しい大学町で、何年前かNHKラジオドイツ語講座で ”フライブルク夏物語”として取り上げられており、いつか訪れたいと思っていた。 またマリー・アントワネットが、ハプスブルグ家の支配下にあったこの地から、 ルイ16世との婚礼のためにフランスに旅立ったという。

駅から石畳の道を5分も走ると今夜の宿、パークホテル・ポストについた。新しく見えるが伝統を感じさせる。 チェックインして自転車と荷物を預け、手ぶらで旧市街に繰り出した。 降り出した雨が情緒を増す。

大聖堂の内部に入った。ステンドグラスが美しい。ミサが始まりパイプオルガンがなり響き、男性ソリストが歌い 荘厳な雰囲気がみなぎる。
ふと気がつくと仲間の3人の姿が見当たらない。外に出ても見つからない。 広場の向かいには赤茶色の趣のある歴史的商館などもある。雨の中、傘をさして散歩しながらホテル付近までもどると、 やっとみんなと合流できた。 夕食は町のレストランでとりビールで盛りあがった。
   












7月21日(第3日)
9時出発の予定だったが、Hさん、Kさんが余分の荷物を向かいの郵便局から送り返すというので ついて行った。箱を買い送り状に記入し列に並ぶ、これを局員や他の客に助けられて何とか送る。 小生のドイツ語は最初の一言は言えるが、相手の返事をなかなか聞き取れずあまり役に立たない。 看板や印刷物などの文字を読む時の足しになる程度だ。

10時ごろいよいよコルマールColmar(フランス・アルザス地方)に向かう50kmの本格的サイクリングだ。 リーダーのK氏、小生、Hさん、Kさんの順で出発。西へ西へひたすらK氏の後を追う。 郊外を走り続け別れ道に差しかかったところで通りがかりの老夫婦に道を尋ねる。アドバイスにしたがって ウムキルヒUmkirchに、さらに行くとブライザハBreisach、すぐライン川を越えるとそこはフランスだ。 国境にはドイツとフランスの国旗があるのみ。2pm道端で簡単に昼食。


フランスに入ると延々と運河地帯だ。 コルマールは中世以来神聖ローマ帝国のもと、水路を利用したワイン交易で栄え、 その後の戦火をも免れた結果、旧市街には築数百年もの木組みの家が数多く残る。



運河に沿って木陰を快適に走る。6pmホテル着。 ホテルレストランLe Maraichersに着いたときは、汗ぐっしょりでくたくた。 部屋に入って真っ先にシャワーを浴びながら、同時進行でシャツ・パンツなどを足揉み洗い、バスタオルで水分をとって針金ハンガーで干す。この間約10分。 そのあとの食事が楽しみ。野菜サラダ、エスカルゴ、スープ、デザートなど4人でシェアして食べる。




7月22日(第4日)
7時半、出発準備したうえで食事。ホテルに荷物を預けて旧市街観光へ。 プチ・ヴェニスPetite Venisはコロンバージュの家と運河、出窓がユニークなプフィステル館Maison Pfister、 今はレストランになっている頭の家Maison des Tetesを巡る。

ホテルで荷物を積んで再度出発。 コルマールはまた自由の女神像の作者F.バルトルディの故郷とのことで自由の女神像があった。

1pmワイン街道で昼食。途中のレストランで水だけ買うとボトル1本が3ユーロ。 2時40分リクヴィルRiquewihr到着。カフェで一服、レモネード2.5ユーロ。

アルザスのワイン街道沿いには小さな美しい村が点在する。リクヴィルもその一つ。 家々の窓辺や庭は色とりどりの花で美しく飾られ、公園・遊歩道も入念に手入れされている。





アルザスAlsace(ドイツ名:エルザス)地方は西に隣接するロレーヌLorraine(ドイツ名:ロートリンゲン)地方とともに 近世以降、独仏間の係争の地であった。しかしこの地方には長く使用されたアルザス語という言語があり、 それはドイツ語の方言であるらしい。またアルザス人はドイツ系民族といわれる。 アルザス・ロレーヌともフランク王国が独仏に分割されて以来、ドイツ(神聖ローマ帝国)領だった。 近世以来中央集権国家として力をつけてきたフランスが、地方分権でばらばらのドイツ・ライン地方を思うままに侵略し、 アルザス・ロレーヌを奪い取った。 のちの普仏戦争当時を舞台とするドーデーの創作”最後の授業”が日本の教科書にも取り上げられてよく知られているが、 これは実情とかけ離れているということになる。 この地を旅してもドイツ語起源らしき地名やドイツ語のフランス読みと思われるものが多くみられる。



5時半シャテノワChatenoisのホテル・ドンテンヴィラDontenvilleに到着。古民家を再生した民宿のよう。 広く眺めのいい部屋を女性に譲って男性陣は屋根裏部屋へ。ここの奥さんは手洗いで洗濯してくれるとのこと。 付近の教会と城址を散策する。周囲はブドウ畑だ。教会の屋根にはコウノトリが巣を作っている。 城址を散策するうちにHさんの姿を見失う。神隠しにあったのかと思った。そんな雰囲気のある城址だ。 再会してようやく郷土料理の夕食にありつく。
















7月23日(第5日)
ホテルの主は親日家のようで日本語を少し知っているもよう。 80代とおぼしき彼はドイツ語も話せるとのこと。子供のころはドイツ国民だったのだろう。 別れ際に奥さん、息子さん、兄さんと我々みんなで写真を撮り、のちにメールで送ることとなった。 向かいのパン屋で水を買う(1.2ユーロ)。

8時50分荷物を預けて予定外のケーニヒスベルクKoenigsbergに向かう。 ここまで走った途中でボージュ山脈Vosgesの稜線に見えていた山上の城塞(755m) だ。あんな高いところまで登れるやろか。

宿で教えてもらったとおり、これまで走った道を戻り、途中で右折する。 そのあとはひたすら登る。Hさんが途中で諦めかけたが結局みんなで延々とのぼった。 城塞の周囲は道の両側に車が一列にぎっしり。そこを通り抜け、入口付近に自転車を止めて一服。 アルザスのブドウ畑が一望のもとに見える。

入場券を買って城内に入る。ここはフランスで有数の人気の観光地とのこと。 家族連れで賑わっている。子供たちに大声で説明するガイドさんも。








このオー・クニクスブール城(Haut-Koenigsbourg)は12世紀に建造され30年戦争でスエーデン軍に破壊され、 その後放置されたが、18世紀にドイツ皇帝ウイルヘルム2世によって博物館として?かなり精緻に再建されたという。 内部は複雑な構造で往時の武具や調度品が展示されている。

帰りはKさんが調子よく先に下ってしまった。下っても下っても、こんなに登ったのかと思うほどだった。 小生はブレーキをかけながらゆっくり下った。あと二人も付き合ってくれた模様。 1:20pmホテルに帰り、荷物を載せて次に向かうはオベルネObernaiだ。暑さに耐えながらワイン畑の地道も走る。 この地でも今年の暑さは異常だそうで今日は35度とか。持参の団扇が重宝する。 水を飲み飲み機会ある度に補給する。トイレに入った時にも水道の水を補給してがぶがぶ飲む。 ザックの中まで汗が染みこんでいる。 5:00pm、Hotel le Gouverneurに到着。シャワーを浴びさっぱりして町のレストランで夕食をとり散歩する。






7月24日(第6日)
9:10am出発。道は途中から水路沿いになる。12:00昼食。 2:30pmユースホステル・ストラスブールに着く。 フロントの近くに日本人男性がひとり。小生と同年輩か?この地に何日も住んでるとのこと。 旧市街への行き方などいろいろ教えてくれる。フロントでシーツを受け取り部屋へ。 部屋は男女別で2段ベッドがふたつ。先客2人の荷物はあるが人はいない。 シャワー室など殺風景だが、基本的機能は十分そろっている。タオルはない。 シャワーを浴び着替えをすませ、3:30pm散歩に出かける。

トラム乗場に着くが券売機での切符の買い方がわからない。K氏がいろいろ試行錯誤してやっと買えた。1.8ユーロのこの券は帰りにも使えた。 まずプチ・フランスPetite Franceを散策、川辺に木組みの家が立ち並ぶ。なぜプチ・フランスと呼ぶのだろうか?









次に赤色砂岩でできた大聖堂に。入口の男性に誘い込まれるように階段を上り屋上に出た(66m、5ユーロ)。 司教の家パレ・ロアンPalais Rohanを横に見てレストランで食事。メニューを見てもフランス語でわからない。 わずかな手掛かりを見つけて相談しながらK氏が注文する。 何度か食事すると一定のパターンができてくる。まず野菜サラダ、地元の料理、トマトスープ、ソーセージ。 ビールがうまい。乾杯 Prost! ひと口ずつ味わって飲む。


7月25日(第7日)
Kさんが2〜3日まえに車を避けて転倒したとき以来、腰に痛みを覚え、きょう病院で診てもらうことになる。 Hさんが付き添って保険会社指定の病院にタクシーで行き通訳を介して診てもらい、治療を受けコルセットと薬をもらって帰ってきた。 費用の立替などなく保険が使えたという。

K氏と小生はその間、wifiルーターの容量UPのため、トラムでオレンジ社の店に行った。 2pmに合流してみんなで軽く昼食をすませた。 夕食同様、昼食にも一定のパターンができた。朝のブッフェスタイルの食事の時に パン一個、リンゴ、ゆで卵、パックのヨーグルトなどをもらっていく。それで足りる。

本日の予定はケールKehlから列車でハイデルベルクに行き、城址や大学周辺を見た後、マンハイムまで20km走ることであったが、 ハイデルベルク行きを割愛して、マンハイムまで列車で直行することになった。

5km?先のケール(ドイツ)まで男性は自転車で女性はトラムで向かったが、 国境のライン川を東に渡ったらそこがケールだった。500m、トラムひと駅分の距離だった。 つまりユースホステルはストラスブール市内の東の端(ケールの対岸)にあったのだ。

ケールからマンハイムまで約2時間の乗車券を窓口で買うと、乗換明細書?なるA4のペーパーが着いていて、 それによると途中で2回乗り換えすることになっている。 とりあえず乗車してほっとしていると、約10分でアッペンヴァイアーAppenweierという乗換駅にきてしまい あわてて列車から降りた。降りてみるとホームが上下各一本しかない田舎の駅だ。 乗り換えホーム9番線とはいったいどこや。 そこにいた男性に聞くとちゃんと教えてくれた。 一般の道に出て少し行き階段を上るとそこが乗り換えホームだった(約5分)。 その男性は自転車で階段を上がるのも助けてくれた。感謝! あとで判ったが別々の鉄道会社だった。

2回目の乗換駅はカールスルーエKahlsruheだ。 ここでまた以前の失敗を繰り返した。 到着予定時刻が来たので駅名も確認せずに他の客につられて、手前の駅で降りてしまった。列車が少し遅れていたらしい。 次の列車でカールスルーエまで行く。しかし駅は大きくホームがたくさんあって どのホームに行けばいいのかわからない。乗ってきた列車が違うからだ。 地下の連絡通路をうろうろしたが結局、乗客の人に聞いてやっとわかった。

マンハイム着は6:50pm。今夜宿泊のユースホステルJugendherbergeはライン川に面し、中央駅の裏側すぐ近く。到着は7:30pm。 マンハイムはハイデルベルクのあるネッカー川とライン川の合流地点だ。
夕食は街に出て韓国人?経営のレストランで焼きそばを食べビールを飲んだ。





7月26日(第8日)
晴れ。今日も暑い。9:40am出発。 選帝侯宮殿を見て10:50am列車でヴォルムスWormsへ、券売機で切符を買うのに1枚づつ4回買った。30分で到着。

ヴォルムスは4世紀前半にはゲルマン民族のひとつブルグンド王国の首都であり、 叙事詩”ニーベルンゲンの歌”、ワグナーの楽劇”ニーベルンゲンの指輪”の舞台でもある。
また16世紀には皇帝カルロス5世に呼び出されたルターが宗教会議で断罪された場所でもある。

ロマネスク様式の大聖堂、続いてルター記念碑を訪れる。 中央のルターの周りには彼に続く各地の改革者がいる。台座の4隅には改革の先駆者ヤン・フス、サヴォナ・ローラなどの像もある。

ヴォルムスから列車でマインツMeinzに向かう。 窓口で切符を買う。14:17発の列車が2番ホームから出ると聞いて2番ホームで待つ。 ところが時間が来ても列車は来ず、周りの客もいつの間にかいなくなった。当の列車は別のホームから出て行ったらしい。 窓口に戻って聞くと列車の遅れでホームが変更されたとのこと。 次の列車の時刻とホームを聞いてそこへ移動する。他の乗客にも聞いて確かめた。 ところが駅員らしき人が近づいて来て別のホームへ行けという。 その通りにするとやっと列車に乗れた。どないなってんねん。

ドイツ鉄道Deutsche Bahnではよく乗車ホームが変わる。その都度アナウンスしてるのだろうが、外国人にはわかりにくい。 モニター画面で表示してるともいうが、簡単にころころ変えられてはかなわない。 ホームからホームへ階段やエレベーターを使って自転車を担いでうろうろさせられた。

結局40分遅れて15:37マインツ中央駅に着く。 ホテルはマインツ駅の近くとのこと。ホテルまでひとっ走りと思たがそうはいかない。T時間走ってやっとIBISホテルに着く。 実はホテルはひとつ手前のマインツ・ローマ劇場Mainz-Roemiches Theaterという駅の近くだった。うまくいかないものだ。
近くのスーパーを見物し少し買物をして、レストランでイタリアンの食事。 このところ毎日トマトスープを食べている。皿に入っていたり壺に入っていたり、どれもおいしい。 ビールもうまい。最高Wunderbar!





7月27日(第9日)
マインツはライン観光の起点である。マインツまでの上流を上ライン、マインツからボンまでを中ラインというらしい。 9:20amホテル出発。いつもの通りまず大聖堂へ。隣がグーテンベルク博物館。 グーテンベルクの印刷術発明により、それまで手書きによる写本だった聖書や学術書が急速に普及した。
博物館内部では係りの人が特に貴重な最初の出版物としての聖書などの展示室に案内してくれた。 また日本や中国の印刷・版画の資料の展示コーナーもあった。

昼食をとり、カフェで休憩。リューデスハイムRuedesheimへ。 5pmホテル Zum Grunen Kranz着。初めてのシングルルームだ。 シャワーと着替えをすませ7pm集合し、食事に出かける。 リューデスハイムには”つぐみ横丁Drosselgasse”という小路があって、両側にワインレストランが軒を連ね、 昼間からバンドの生演奏や陽気な歌声がこだましている。 この中にわれわれも入り込んで一緒に楽しんだ。








7月28日(第10日)
今日も快晴で暑い。ライン川船旅の日だ。ホテルの近くにKDライン観光船の乗り場がある。 ザンクト・ゴアSt.Goahまでのチケットを買って10:15am,自転車とともに乗り込む。 日本人や中国人のグループも。 自転車をこぎながら景色をゆっくり見るわけにはいかないけど、船上では安心だ。 ワインの見本をもって売り歩く日本人女性がいる。注文をとって別送する。いろんな商売があるものだ。 両岸には古城などが現れては、過ぎ去っていく。 Bingen(左)、鼠の塔(左)、Kaub(右)、プファルツ城(右)、Bachrach(左)、 ローレライ(右)、ねこ城(右)ねずみ城(右)、ラインフェルス城(左)

下船地をひとつ先のボッパルトBoppartに変更して下船。 左岸を走る。ラインはこの辺りでUターンするように大きく蛇行する。 雨が降りはじめカッパを着る。 他のサイクリストが、われわれを次々と追い越していく。 追い越したうえで止まって話しかける人もいる。 日本でも各地でIC関係?の仕事をするというオランダ人だった。 小生の”ご老体”号を見て感激?して何か言ったけどよくわからない。 一緒に写真を撮る。

さらに走って休憩地でひと休み。ふたたび進み次の休憩地で休んだとき、 自分がザックを背負ってないことに気づく。頭の中で時間を巻き戻す。前の休憩地に置き忘れたに違いない。 カッパを脱いですぐ引き返す。K氏がついて来てくれる。 沢山できた水溜まりを避けもせず走る。2kmくらい戻ったもとの場所にわがザックを発見! 近くで休んでいたドイツ人数人がこちらを見て笑っている。 ”Gott sei Dank!(やれやれ!ああよかった)”と言ったら、向こうも”Gott sei Dank!”と返してきた。 もとの地点に戻り、女性二人と合流、ガリガリ君を買って食べる。 ザックも自転車も跳ね上げた泥で真っ白だった。



6:30pmコブレンツKoblenzのホテルWein-haus Grebel着。シャワーして夕食。 トマトスープ、サラダ、じゃがいも、ビール、ワイン、アイスクリーム。





7月29日(第11日)
曇りときどき晴れ。9:30amホテル出発。 コブレンツはライン川とモーゼル川の合流地点に位置し、 その先端部分はドイツの角ドイッチェス・エックDeutsches Eckと呼ばれる。 そこには皇帝ウイルヘルムの騎馬像が載った巨大な記念碑がたっている。 その近くから対岸のエーレンブライトシュタイン城塞までライン川をまたぐロープウエイで往復する。

1:30pmコブレンツからレマーゲンRemagenまで列車移動。 レマーゲン鉄橋は第2次大戦時、最後まで爆破されずに残ったが、いまは橋脚のみが記念として残っている。 橋はないが渡し船があった。1人1ユーロ、1人+自転車1.5ユーロ。 右岸に渡り橋脚の残骸を見て、バート・ホンネフBad Honnefにむかう。 ここは保養地で温泉があり別荘が立ち並んでいる。 今夜のホテルはHotel Avendiだが近くまで来ていても、なかなかわからない。 4:40pmようやく着いた。シングルルームでシャワーして6時集合、夕食。



















7月30日(第12日)
9:30ホテル出発。今日はボンを経て、最終的にはケルンに向かう。 右岸をしばらく走ると七連山SiebenGebirgeという森林丘陵があり、その1つには”竜の岩Drachen Fels”がある。 ニーベルンゲンの神話に出てくる英雄ジークフリードが竜を退治し、その返り血を浴びて不死身になったという伝説にちなむものだ。 この山に登るのに麓のケーニヒスヴィンターKoenigswinterからケーブルカーが出ている。 その駅を見落として、かなり行き過ぎてしまった。 反対方向から来る自転車の男性を呼び止めて聞くと、教えてくれたうえで親切にも 自転車で駅まで案内してくれた(10:30am)。







ケーブルで頂上駅に登り、”竜の岩”を見物する。帰りは中間駅で”竜の岩の城Schloss Drachenfels”という古い館を見学する。 下山後、昼食をとって対岸のボンBonnに向かう。コンラート・アデナウアー橋を渡ってボンへ。3:30pmベートーベンハウスに入る。 われわれの直前に中国人の団体がどっと入ってきた。ベートーベン直筆の楽譜、遺品、当時の楽器などが展示してあるが、 暑くて狭くて暗くてゆっくり見られなかった。
5:00pmケルンまで列車に乗る。6:30pmユースホステル到着。4人部屋だが相客なし。 7:30pm館内で簡易夕食。





7月31日(第13日)
9:10amホテル出発。大聖堂へ。大きな荷物は持ち込めないので面倒だ。 ローマ・ゲルマン博物館Romisch-Germanisches Museumに入場。 12:30pmレストランで昼食。 きょうもトマトスープLudwichTomatenSuppeをたべる、美味なり。






3:45pm最後の宿泊地デュッセルドルフに列車で移動。 6時ごろ四つ星ホテルCourtyard by Marriot Duesseldorf Seesternに着き、いつものようにK氏がチェックイン手続きしたが、 チューリッヒから送った段ボールが着いていないという。明日には着くというのだが・・・

その夜、K氏がネットで荷物の行方をたどると、国境を超えたために税関で留められているらしいことが分かった。 荷物が間に合わないとなると、自転車店を探して新たに段ボールを調達しなければならない。


8月1日(第14日) 最終日。郵送した段ボールは間に合わないかも知れず、新たに調達するにしても、小生用の大きい箱は入手困難かもしれない。 少なくとも4個の荷物より3個の荷物の方が行動が楽だろう。 もともと自分の自転車”ご老体”号は処分して帰国することも考えたことでもあり、この際おいて帰ることに決めた。 朝食後、ひとり自転車をホテルから持ち出し、近くの公園の駐車場の隅に施錠せずに置いて帰った。 不用品を外国に放置することについて若干の後ろめたさがあったが、 旅行前にベルリン在住の娘に相談したところ、道端に置いておけば誰かが持って行ってくれるので、まったく問題ないとの返事であった。

K氏がホテル側と協議した結果、ホテルをチェックアウトしたうえで、大型タクシーに4人と3台の自転車を乗せ 税関事務所に向かうことになった。その場所に荷物はなかったが、K氏が税関の係官と折衝した結果、 4人は再び大型タクシーで空港に向かい、その後電話で連絡を取り合って税関のチェックが完了したら、荷物を税関に取りに行くこととなった。 その後荷物が到着したことがわかり、小生以外の3人がタクシーで再び税関に向かい荷物をもって空港に戻った。 3人の自転車をもとの箱に収め、小生の空き箱はカッターで細分してゴミとして処理し、やっとこの問題は解決した。

6:00pm搭乗手続き、8:00pm全日空210便はとびたった、


8月2日(第15日)
NH210便は日本時間1:45pm成田に到着。預けた荷物は受け取ったうえで, 5:00pm発伊丹行きNH2177便に預け直さなければならなかった。
成田で食べた久しぶりの日本食”きつねそば”はうまかった。 6:20pm伊丹に無事到着。
波瀾万丈の旅はこれでおわった。



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フランス・アルザス地方では計画通りまたはそれ以上に自転車で走ったが、 ドイツでライン川沿いを行くときは予定以上に鉄道・船を利用した。 全行程の自転車での走行距離はざっと350kmくらいかと思う。



(完)

ここに掲載した写真は一緒にサイクリングした4人が撮ったものです。












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