鉄道&バスの旅(2013年6〜7月)



 絵仲間のTさんに誘われてスイス旅行に参加することにした。 題して”スイスアルプス絶景・山岳リゾートのんびりハイク10日間”である。 スイスは2004年に妻・長女と訪れている。あの時の訪問地は 北部(ドイツよりの地域)およびツェルマットであった。 今回はスイス南部、イタリア・フランスに接する地域であって ツェルマットのみが重複する。
 また今回のツアーはTさん主宰の親睦会(NINA会)のグループ旅行であって、 偶然であるがメンバーの多くは小生と同窓であるとのこと。

初日(6月28日)
 関空に朝7時半に集合する。一行は21名(男性15名、女性6名)添乗員Oさん。 大韓航空でソウル経由ミラノへ。 ソウル空港で待ち時間に搭乗口近くのベンチで外貨(ユーロとスイスフラン)を 別の財布に入れ替えているうちに、外貨の入った財布を 紛失した。それにはスーツケースの鍵も入っていた。

 ミラノ行きの飛行機での座席はグループばらばらで通路から2番目。 通路側にはイタリア人の巨漢が座る。
仲良くしないと道中つらいので片言のイタリア語で話しかける。
”Scusi.De donde eres?(すみません。どちらから?・・・後になって 気付いたことだが後半はスペイン語であった)” イタリアからとの返事(スペイン人と間違えられたと彼は思ったに違いない)。
 韓国人スチュワーデスが飲物を持ってくる。 巨漢氏が先ず注文したあと小生の番、”Vino bianco(白ワイン)”と注文。 彼女にはよくわからなかったらしく缶ビールを小生のテーブルに置く。 それを見て巨漢氏、”ビールと違う、ワインや”と言った(らしい)。 彼女は今度は赤ワインをコップに注ぐ。今度は巨漢氏”赤やない、白や”。 それを見て小生、それでOKと了承する。 窮屈な12時間弱であったが隣席との友好的雰囲気はなんとか保てた。

 ミラノについてバスでホテル(THE HUB)へ、そしてすぐテーブルを囲んで食事(ミラノ風リゾット)。 しかしスーツケースの鍵を無くしているので、添乗員を通じて錠前をホテルの人に壊してもらった。 食事中、この会の旅行初参加の3名(小生を含む)が自己紹介することになった。 小生にとってこの中の顔なじみはTさんとKさんの二人。 今晩から一人ものは組み合わせを変えながらの相部屋となる。それもまた面白そう。

第2日(6月29日)
 出発するのに帽子が見つからない。 気に入っていた帽子を昨日 空港かバスに置く忘れたらしい。 Tさんの予備の帽子を貸してもらった。
きょうはマッターホルン(チェルビーノ)をイタリア側から見る予定だが、 あいにくの天気。チェルビニアに向かううちに雨が降り出した。 マッターホルンが湖面(ブルー湖)に映し出されるはずの絶景ポイントを、 傘をさして散策したがやはり見えなかった。
 チェルビニアは夏スキーのメッカだそうで、 スイス側のクラインマッターホルンスキー場経由で ツェルマットにも行けるらしい。

 アオスタに向かう。 アオスタは古代ローマ時代からの古都でプレトリア門、円形劇場、凱旋門など残っており 北は大サンベルナール峠を越えてスイスへ、西は小ベルナール峠を越えてフランスへと続く。 大サンベルナール峠はナポレオンがここからイタリアに侵入したところで、 さらにはるか昔ハンニバルが象を連れてローマに攻め込んだとも言われている。 一通り現地ガイドさんに説明してもらったあと、 Kさんと円形劇場、凱旋門をスケッチする。 ホテルはプレトリア門の近くの”ROMA”。


第3日(6月30日)
 天気は快晴。 この旅行最大限の防寒対策をして、 アオスタを出発しクールマイヨールに向かう。ここも有名なスキーリゾートで スキー場はシャモニーとつながっているという。 展望台より4000m級のアルプスを見て いよいよトンネルを通過するとフランスのシャモニーだ。

 ヨーロッパ最高峰のモンブラン(4807m)を見るため 順番を待ってロープウエイに乗る。 終点近くで、急斜面を登るクライマーのパーティが見える。 ここを特徴づける針峰群が林立する。 ロープウエイを降りて橋を渡り、更に岩の中のエレベーターでエギーユ・デュ・ミディ 展望台(3842m)に到着。さすがに寒い。 快晴のもと、ま近かにモンブランが見える。グランド・ジョラスも。 はるか向うにマッターホルン、モンテローザも見えた。

 昼食後3pmバスでシャモニーを出てジュネーブへ。レマン湖畔を散策。 英国公園、花時計、ジェット噴水、旧市街で聖ピエール大聖堂を見る。 またジュネーヴ大学構内の宗教改革記念碑(カルヴァンほか3名の巨大彫像)も訪れた。 ガイドブックによると、カルヴァンの活躍によってジュネーヴは” プロテスタントのローマ”と言われている由。 このすぐ近くにカルヴァンの住んでいた家、ルソーの生家もそのまま残っているらしい。 夕食は”エーデルワイス”でヨーデルディナーショー。 隣席の日本人グループが大いに盛り上がっていた。 ホテルはNH REX。

第4日(7月1日)
 今日も晴天、7時半、レマン湖北岸をバスで東へ。 南向き斜面の北岸は日当たりがよくワイン畑が拡がる。 また南岸(フランス側)にモンブランなどサヴォア・アルプスが 雄大なパノラマを見せてくれる。。 約1時間でシェーブルのワイナリーに着く。 ワインを試飲したあと世界遺産ラヴォ―地区でブドー畑の小道を1時間のハイキング。 途中で小学校高学年くらいの子供たちと出会う。 女の子に”Ca va?" と声をかけると "Ca va,merci. Et vous?" と返ってきた。 この辺りはフランス語圏だ。



 サンサフォランからバスでヴィヴェイに移動し湖岸を散歩。 高級ホテルや別荘が立ち並ぶ。 晩年をここで過ごしたチャプリンの等身大の銅像がある。 湖中には巨大フォークが刺さっている。ネスレ本社がここにあることを知る。  次は湖から離れグリュイエールに12時に着く。中世からの古城を散策し、 昼食はメレンゲとソーセージ。チーズ工場に立ち寄る。 湖岸に戻り高級リゾートのモントルーから船でバイロンゆかりのシヨン城までミニクルーズ。 再びバスに乗りテーシュからツェルマットまでシャトル列車に乗る。

 そしてようやくツェルマットに到着。 9年前に来た時と違って観光用の馬車が見当たらない。 その分、ちょっぴり風情が落ちる。 ホテルは駅に近い"Schweizerhof"。寝室とは別にもう1部屋あり、 寝るだけなのにもったいない。 みんなでマッターホルンが見える橋まで行く。 すぐそばに以前泊ったホテルCouronneがあった。 あのときは部屋の窓からマッターホルンがばっちり見えたものだ。

第5日(7月2日)
 朝、目覚めると相棒のベッドはもぬけの殻。みんな早起きして ご来光を見るべく昨日の橋まで行ったらしい。
 7時40分トレッキングに出発。当初の予定ではゴルナーグラートまで 登山電車で行って、帰りに上から駅二つ目の  ローテンボーデンからリッフェルベルクまで歩いて降る予定だったが、 少し前の異常気象による積雪のため予定が変わり、下の方のリッフェルアルプで下車、 ガイドさんの案内で1.5時間のハイキング。 アルプスの3名花など花の名前をたくさん教えてもらった。ガイドさんは日本人女性で 夏はスキューバダイビングのインストラクター?をしているとのことだった。 その後再度列車でゴルナーグラートへ。マッターホルン以下周辺の山がよく見える。 展望台で写真を撮ったあとピークを極める。

 列車でリッフェルベルクまで下り、レストランで昼食。 ツェルマットまで帰った後、希望者は地下ケーブルでスネガへ。 ロートホルンには行けないが、 ライゼー経由でツェルマットまでがやがやと約2・5時間ハイキングをした。 夕食(レストランで魚料理)まで付近を散歩し、教会やネズミ返しの穀物倉庫?を スケッチした。Schweizerhofに連泊。

第6日(7月3日)
 今日の予定はエッシネン湖周辺をハイキングした後ヴェンゲンまで。  ツェルマットにはガソリン車は入れないのでテーシュまで列車に乗り、 そこからバスでカンデルシュテークまで。 その間ゴッペルシュタインからはバスごと列車に乗る(カートレイン)。
 カンデルシュテークからはロープウエイに乗ってエッシネン湖へ。 この湖は大きくはないが山が迫っており周囲を一周することはできない。 傘をさして右岸を行ける所まで行って引き返す。 不思議な雰囲気を持っており、恐山の宇曽利湖を思い出した。
レストランで食事をしたあとバスでラウターブルンネンまで。そこからは ヴェンゲンアルプ鉄道に乗り換えてヴェンゲンに着く。 駅から近い小高い所にホテル”Regina"はあった。 食事まで時間があるのでフロントで地図をもらってKさんと街を散歩した。 夕食は近くのレストランでビーフフォンデュ。


第7日(7月4日)
 今日はヴェンゲンアルプまで電車、そこからガイドさん(日本人男性)の案内で クライネシャイデックまでハイキング。あいにくの雨模様でカッパを着る。 眺望がないので説明も花のことばかり。クライネシャイデックには新田次郎の小さなプレートが 岩にはめ込まれていた。 東からアイガー、メンヒ、ユングフラウと並んでいるが残念ながら曇っていて見えない。
 ここでガイドさんと別れ、 ユングフラウ鉄道でヨッホ展望台(3454m)へ向かう。 アイガーグレッチャー駅からアイガーの山中に入り、 あとはひたすらアイガーとメンヒの岩山の中を進む。 途中アイガーヴァント、アイスメーアの2駅で 5分くらいの停車時間中に外の景色を見ることができる。50分でヨッホ駅に着く。 ここはメンヒとユングフラウとの稜線の鞍部だ。 ヨッホとは鞍部のこと。 トンネルの中を巡る見学コースができている。氷の彫刻を見ながら進む。 エレベーターでスフィンクス展望台へ。東にメンヒ、西にユングフラウ、 南にアレッチ氷河が真近かに見える。アイガーは見えない。
 ヨッホで食事した後アイガーグレッチャーまで電車で下り、そこから クライネシャイデックまでハイキングした。そしてヴェンゲンへ。 kさんと教会に行ってスケッチ。 Reginaホテルに連泊。  


第8日(7月5日)
 晴天。ヴェンゲンアルプ鉄道にてラウターブルンネンへ。 そしてバスでフルカ峠、グリムデル峠を経てローヌ運河で休憩をとりアンデルマットへ。 途中車窓から下を見ると、はるか下方までジグザグ道が折れ曲がっている。

午後は氷河特急で5時間。乗車直後昼食をとった。 途中ランドヴァッサー橋を見て、写真を撮ることで大いに盛りあがった。



 そして6時にサンモリッツへ着く。
ホテルはNIRA ALPINA。わりと新しいホテルで従業員は若く愛想がいい。 今日だけは一人部屋だ。部屋に入ると入り口近くのテーブルの上に一冊の本がある。 手にとって見ると”Also sprach Zarathustra"(ツァラトゥストラはかく語りき)とある。 著者はフリードリッヒ・ニーチェ。ホテルの部屋に本が置いてあるとすれば、それは 聖書であることが多い。なぜこの哲学書がこのホテルに備えてあるのか? 表紙の裏に小さな栞が挟んであって、ニーチェは晩年の数年間をここサンモリッツで 過ごしたらしい。
 なんとなくこの本が欲しくなった。 この本は日本語訳を私も持っている(岩波文庫版手塚富雄訳)が中身はちゃんと読んでいない。 フロントに行って受付の女性に、その本を手に入れることができるか聞いてみた。 すると(上の人に?)聞いて見るとの返事であった。しばらくして再びフロントに行き ”聞いてくれたか?”と聞くと、”聞いたけど残念ながらご希望に添えません。” とのことで諦めた。 グループの他の数人の人にその本のことを聞くと、誰も気がつかなかったとのこと。



第9日(7月6日)
 朝ホテルの近くを散歩した。向かいにはスキーリフトの乗り場があった。 裏側(バルコニー側)にはシルパプラーナ湖があり、とても牧歌的で美しかった。
 バスがホテルを出発するとき、 数名の従業員が一列に並んで一斉にお辞義をしたのには驚いた。 日本流の”おもてなし”だ。





 旧市街を散策ののち、セガンティーニ美術館へ。 マイエンフェルトではハイジの家を訪ね、 ルツェルンでは傭兵たちのライオン記念碑を 見る。フランス革命のときルイ16世一家を 身をもって守ろうとし全滅したスイス兵たち を記念して造られたものとのこと。 木立の中の岩壁に瀕死のライオン像が彫られている。 カペル橋はヨーロッパいち古い木造の橋で 屋根がついている。
  チューリッヒより一路ソウルへ。



第10日(7月7日)

 現地時間15時10分ソウル着。4時間の待ち時間ののち 関空へ。関空着20時55分。自宅着24時であった。




今回の旅行について

 個人旅行でもなく、普通の団体ツアーでもない、いわばグループ旅行は初めてだった。  このNINA会の旅行は、グループとしてまとまっていて、 またメンバーにはある程度共通項もあり、 初参加の私もなごやかな雰囲気のなかに溶け込めたと思う。 一般のツアーに個人参加では、団体のなかでの個人行動となり少々さびしい。
 また計画もよく練られ心配りが行きとどいていたと思う。

 またツェルマット・マッターホルン地区やヴェンゲン・ユングフラウ地区での トレッキングの予定が積雪のため変更になったのは残念であった。

(完)                                                             


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