四万十川〜足摺岬サイクリング
08年5月2日〜5日(京都クロスカントリースキークラブの仲間と)
清流の四万十川、土佐の小京都中村は一度は訪れたい土地である。 サイクリングに誘われて一も二もなく飛びついた。

画像 5月2日2時PM、自転車で家を出て京阪電鉄枚方市駅へ。 天満橋下車、再び自転車でまずは天王寺の大阪市立美術館を目指す。絵画展を見た後ふと思いついて住吉区長居駅前にある 兄の小児科医院を突然訪れる。10年前肺がんの手術を受ける前に相談に来て以来だ。しかし夕方の診察時刻には まだ早く、会えずに立ち去る。雨を警戒しつつ住吉神社など寄り道をしながら 南港フェリーターミナルに着いたのは6時。それにしても早すぎる。出港間際にようやく9名全員が揃う。 8時40分フェリーは出港。船内で食事の後2等寝台に落ち着く。切符は仲間の一人が安く買ってくれた。


画像 5月3日早朝今治港着。天気はよい。弁当を買って朝食をすます。 帰りは一行と別れてひとりJR土讃線経由で帰るので、切符は 今治から高知・岡山経由で大阪まで買う。 予讃線の車窓からは山の樹木の上部が黄色になっているのが見える。この光景はどこまでも続く。 関西でこんな風景は見たことがないように思う。あとで(西土佐の宿で)聞いたところによると これはシイの花の由。
    *旅人の心にも似よ椎の花(芭蕉?)


画像 20数年前一人旅で訪れた松山を過ぎ、内子・八幡浜を過ぎて宇和島で予土線に乗り換える。 一両のみの列車?に8台の自転車は地元の乗客には少々迷惑か。のんびりと山あいを縫って走り 高知県に入る。江川崎から先はあこがれの 四万十川沿いをゆく。このルートはのちに自転車で逆方向に走ることとなる。 土佐大正、若井を経て窪川にて下車。窪川とそのひとつ手前の若井、わずか数キロのこの間はJRでなく土佐くろしお鉄道となっている。 これは鉄道ミステリーのひとつだそうで、そのせいで今治から大阪までの乗車券がここで一旦途切れることとなる。 切符は1枚だが運賃計算に影響が出る。ゴールデンウイークのためジパング割引きが効かないのに追い打ちがかかる。


画像 窪川駅前で自転車を組み立て近くの食堂で昼食を取った。画像 いよいよサイクリング開始である。 海岸に近い窪川から西方の江川崎に向かう。内陸に向かうのだから登り勾配と思われがちだが さにあらず。大きく蛇行する四万十川に沿って下流に向かう。 起伏の少ない単調な道だ。途中、十川(とおかわ)で神社の境内で神楽を奉納しており続いて餅まきがあった。 地元の人々に交じってこれに参加し収穫物はのちに焼いておいしく食べた。 すぐ近くで”鯉のぼりの川渡し”もあった。鯉の数は500を超えるとか。


画像 江川崎はカヌーのメッカである。ここで四万十川は南に向かう。今夜の宿”民宿にしとさ”はこの先 にあるという。 一行のうちサイクリングでなくカヌーをするために参加しているM氏は一足先に民宿についており、 カヌーを楽しんだあとレンタサイクルで我々を迎えに来てくれた。 民宿にしとさの風呂は小さかったがなんとか汗を流し、川でとれたカニやエビなど新鮮な食材の夕食をとった。


画像 4日、今日は四万十川沿いに南下し中村(旧中村市は西土佐村と合併して四万十市になっている)を目指す。 車の多い広い道ばかりでは面白くないのでトンネルを避けて 狭い旧道を走る。そのうち最も元気なメンバーが下りカーブで転倒し、体のあちこちを擦りむいた。 三里、佐田などいくつかの沈下橋も通過した。


画像中村エリアに入り安並水車の里を訪れる。 川の中に水車が10基以上並んでいる。案内の碑によると その昔土佐山内家の家老野中兼山が田に水を引くために作ったものとのこと。 兼山で思い出したのが昔映画で見た”婉という女”(原作:大原富江)。兼山はのちに反対派のために失脚して 当時4歳の娘、婉は40歳まで座敷牢に幽閉されたという。


そののち市街地に入った。途中で聞いた、天然の鰻を食べさせる店を探して入る。 高いけど冥土の土産?にと天然ものを注文する。 運動しているので身が引き締まって普段食べる養殖ものより硬い。
中村は応仁の乱を避けて京都から下向した一條氏が京都に擬えて造った町だけあって、 街並は碁盤目状に広がり、 祇園・京町・鴨川・東山など京都風のものが多い。大文字山の送り火もあるという。 けがをして病院に行っていた仲間も合流して、 一條神社に立ち寄ったのち四万十川に別れを告げ一路南下して足摺岬に向かう。

今夜の宿”海癒”はその手前の大岐の浜にある。そこは土佐清水市だ。 途中で2KMを超えるながーいトンネルを越えた。

3時半ごろ宿に着く。宿のコンセプトは”素”の由。薪で沸かす温泉が目玉。 風呂から上がっても時間があまるので太平洋の海岸を散策する。 浜はサンゴのかけらのような小石で埋まっている。 ここはウインドサーフィンの盛んなところで、宿にもそれらしい客が多く、 海でも大勢で波乗りをやっている。 沖に向かって大波を待つ彼らの姿が逆光でシルエットとなり、補陀落渡海を待つ 僧たちもかくやと思われた(実際かれらは熊野灘だけでなくここ足摺岬からも出て行ったらしい)。

5日。目を覚ますと雨が降っている。もともと今日も好天のはずだった。 7時?やむなくカッパを着て出発。朝食ぬき。目指すは足摺岬。 足摺岬は50年前、夏休みに須崎のいとこ宅に滞在中船で訪れた。

雨中を走るうち8時前、1軒の食堂を見つけた。まだ準備中であったが ずぶぬれの我々を迎え入れてくれた。安くておいしい朝食だった。 再び走り出す。雨の中をお遍路さんが行く。雨は小降りになったり本降りになったり。 海岸沿いの道を岬に近づくにつれて椿のトンネルの中を走ることとなる。 10時ごろ到着。着いたところにジョン万次郎の像があった。 自転車をデポしてみんなは近くの灯台を見に行った。 小生ひとりこれまた近くの四国38番札所の蹉蛇山金剛福寺に。

雨の中、長居は無用と出発。 ジョン万次郎こと中浜万次郎の出身地、中浜をへて土佐清水港に11時頃到着。 足摺黒潮市場で買い物をする。ここで一行と別れることになる。 みんなはバスで宿毛経由、宇和島からJRとフェリーで帰るが、今日中に帰宅したい小生はひとり バスで中村に戻り、あとはJR土讃線・新幹線で大阪に帰へ。自宅に着いたのは8時前であった。 (走行距離:3日60km、4日66km、5日35km?) 画像 画像










click here

前のページに戻る。

最初のページに戻る。

inserted by FC2 system