安芸灘とびしま海道サイクリング
2010年9月19日〜20日(京都クロスカントリースキークラブの仲間と)
1999年6月に京都クロカン仲間のN氏、U氏と3人で 完成後間もないしまなみ海道をサイクリングした。 新尾道からスタートして島づたいに今治まで往復したのだ。 途中、大三島で数々の国宝を見、大島の民宿で一泊した。 帰りに尾道市内の呑み屋”喜鮮仁”では大いに飲み、 酔っ払ってしまったものだ。

画像 あれから11年、今度は裏しまなみ海道ともいわれる”安芸灘とびしま海道”である。 "とびしま"といえばガリバー旅行記の第3部に登場する空飛ぶ島”ラピュタ”を 思い起こすが、今回走るとびしま海道は広島県呉市から下蒲刈島、上蒲刈島、豊島、 大崎下島、大崎上島、岡村島(愛媛県)へ至る島と橋のルートである。

JR新幹線三原駅で勢ぞろいした男性5人女性3人は、 2両編成の呉線に乗り換え、竹原からフェリーで大崎上島に渡り、 そこからとびしま海道を西へ向かうことになる。 竹原は小京都の一つで江戸時代に製塩業で栄える一方、 学者も輩出し頼山陽三代の旧居も残っている。 フェリーに乗る前に町並み保存地区を一巡りしたが、なかなかいい雰囲気であった。

行ったことはないけどエーゲ海を思わせる景色を楽しみながら フェリーに乗ること約1時間、11時ごろ大崎上島の白水港に到着。 そこから左手に海を眺めながら時計回りに海岸を走る。 島には(これから巡る他の島も含めて)食事をする店がほとんどない。 コンビニも一軒もない。休業中の店に頼んで8人分の焼きそばを作ってもらった。 コーヒーのサービスもついた。 かつて造船が盛んであった木江町にさしかかると、 船の形をした3階建の”ふれあい郷土資料館”があった。 100円の入場料を払って入館すると、かつて船大工?であったおじさんのガイドで おちょろ舟の模型など興味深く見て回った。





画像 画像 明石港から再度フェリーで大崎下島の大長港に着く。港のすぐ近くに 今夜の宿”民宿ふるさと”はあった。 まだ時間があるので岡村島に夕陽を見に行った。

おばあさんが一人で切り盛りしている民宿ふるさとに戻る。 まず自転車は用心のため座敷にゴザを敷いてその上に並べた。 次いで風呂。狭い風呂に交代で入るといよいよ待ちかねた食事。 この日はリーダーのN氏がちょうど77歳の誕生日に当たるとのことで、 女性たちがひそかに用意してくれたお祝いの飾り付けで喜寿のお祝いをした。 食事は鯛の活け造りをはじめ味・品数とも申し分なかった。 しかし当方小食の悲しさ、いくらか残してしまった。 宿代は日本酒のサービスも込みで採算度外視の低価格であった。

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20日、6時半に朝食を用意してもらい、おばあさんに別れをつげて 御手洗港にむかった。御手洗は江戸時代に帆船の風待ち・潮待ちの港として 繁栄し、それに伴って歓楽地としても知られたとのこと。 町並み保存地区の案内所で無料の散策マップをもらい各自思い思いに 散策した。菅原道真が手を洗ったという井戸、もと遊郭の若胡子屋、 伊能忠孝が地図を作製した家、幕末の倒幕派三条実実ら七卿落ちの舞台となった屋敷などあり、 他にも多くの歴史的に著名な人物が訪れているらしい。

豊浜大橋を渡って豊島に入る。展望台を目指すが道は狭く険しく車ではとても無理だ。 漕いだり押したりしながら標高300Mの空海展望台に着くとそこには鐘つき堂があった。 折角だから撞いてみる。鐘には各国語で”平和”と書いてある。英語、ドイツ語、 ロシア語、フランス語、スペイン語ほかアラビア語?などもある。


もう一つのピークである十文字展望台にも登る。こちらはローマ遺跡のような 巨大な展望台で、2Fはぐるりと一周できる。この島に限らずこのあたりは ミカンの産地でいたるところにミカンの木がある。

豊島大橋を渡ると上蒲刈島だ。この橋は2年前に完成した最も新しい橋で これによってとびしま海道が全通したといえる。 画像 昼食をとるべく店を探すが見当たらない。やっと見つけたら休みであったり超満員であったり。 蒲刈大橋のたもとの休憩所でやっと”藻塩にゅうめん”にありつく。

有料の安芸灘大橋も自転車なら無料だ。この長大な橋を渡ると本土である。 最初の予定では安芸川尻駅からJRで広島に向かうはずであったが、 風呂に入りたいので銭湯に入れる”広”に向かう。国道185号線は車が多い。 風呂を浴びてさっぱりしたあと、沿線の景色を楽しみながら呉線で広島に向かう。 広島では駅弁を買って新幹線で帰った。 画像










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